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日本聖公会大阪教区 
聖贖主教会について

1907(明治40)年9月、博愛社は現在地(当時の住所は大阪府西成郡神津村)に2階建て32坪の藤田記念館を建立しました。その2か月後藤田記念館は聖贖主教会、博愛社のチャペルとなります。ただし教会は、1894(明治27)年に博愛社のホームの中で宣教師のページ司祭が日曜学校を行うようになったという経緯から始まりますので、教会としての設立年がなかなかはっきりしません。

初期の頃は川口基督教会の伝道師が博愛社内で日曜礼拝を行い、当時の博愛社内の信徒は川口基督教会に在籍していたとのことです。1903(明治36)年6月調査の川口基督教会の会員名簿には博愛社内に居住していた人が70名記載されています。そのうち、博愛社の子どもは59名だということが記録されています。
こうした経緯から、教会としての体裁が整えられたのが不明ですので、「初代礼拝堂が建てられ、同時に母体である川口基督教会から分離独立した1907(明治40)年11月を教会設立時」(日本聖公会聖贖主教会『聖贖主教会設立百周年記念 歴代牧師説教集』57頁)としています。

1906(明治39)年落成 初代礼拝堂
1906(明治39)年落成 初代礼拝堂

1934(昭和9)年4月、博愛社は財団法人に認可されます。その年の9月に近畿地方を襲った室戸台風は博愛社の建物に大きな被害を与え、アメリカの女性篤志家の寄付によって建てられた教会堂も無残に全壊しました。

しかし、その1年半後、1936(昭和11)年、国内外で1,600棟を超える建築を設計したヴォーリズ(William Merrell Vories 1880~1964)の設計で、鉄筋コンクリート2階建て、塔屋3階、隣保館、礼拝堂、貴賓室を持つ白亜の教会が完成しました。

1934(昭和9)年9月21日室戸台風で倒壊した礼拝堂

この建物は現在も博愛社のシンボルとして、また地域の心の拠り所としての使命を果たしています。2007(平成19)年に教会設立100周年を迎え、11月3日(土)、晴天の下で100周年記念礼拝が盛大に執り行われ、教会や大阪教区、博愛社に限らず、地域の小中学校、町会、委員、団体関係者も多く参列し、式典とパーティには約200名近くの人々で溢れました。

2022(令和4)年11月18日には、明快な意匠で落ち着いた空間を有する教会堂建築として登録に値すると評価され、有形文化財として登録されました。

1936(昭和11)年教会再建 聖贖主教会

ごあいさつGreeting

牧師の小林聡と申します。2019(平成31年)年4月に大阪に赴任する前の8年間、福井の幼稚園や保育園、こども園で一緒に過ごしたおともだちから教えられたこと、それは祈る時に祈られている自分を知るということでした。こどもたちとお祈りする時、また遊んでいる時、こどもたちが心から欲していること、それは無条件に誰かのまなざしが自分に注がれていることでした。大好きな誰かの思いや祈りこそがこどもたちに安心感を与えることを、私は一緒に祈り遊ぶ中で教えられてきたのでした。
自分の知らない誰かの祈りの中で自分が覚えられていること。それは小さい頃から奈良県の教会に通い、色んな方々の祈りの中で覚えられてきたことを思い起こすことでもありました。この世界は、少し急ぎ足で歩いているような感覚を持つことがあります。立ち止まったり、静かな時を持ったり、誰かの思いや祈りに心を向けてみること。そんなことがとても大切なように感じます。この街がすべての人にとって安心して居られる場所でありますように。ささやかな祈りが、一人ひとりの安心の生活へとつながっていけたらいいなと願っています。
教会(チャペル)はいつでも開いております。祈りの場としてどうぞお使いください。

聖贖主教会 チャプレン 司祭 小林 聡